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『罪人たち』(2025)|ブラック・ミュージック・エクスペリエンス

罪人たちのポスター。主演のマイケル・B・ジョーダンが怪訝な表情で俯いている。手には銃を持っている。背景は燃え盛るような夕日と真っ黒な人影。タイトルは中央に黄色い文字で記載。

2025年製作/137分/PG12/アメリ
原題または英題:Sinners
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:2025年6月20日

監督 ライアン・クーグラー
脚本 ライアン・クーグラー
出演 マイケル・B・ジョーダン ヘイリー・スタインフェルド マイルズ・ケイトン ジャック・オコンネル ウンミ・モサク ジェイミー・ローソン オマー・ミラー デルロイ・リンドー
撮影 オータム・デュラルド・アーカポー
美術 ハンナ・ビークラー
衣装 ルース・E・カーター
編集 マイケル・P・ショーバー
音楽 ルドウィグ・ゴランソン

 

感想

※ネタバレしていますのでご注意ください

 

グランドシネマサンシャイン池袋IMAXレーザーGTで鑑賞した。本作の撮影・上映方式に関してはライアン・クーグラー監督自ら解説している動画があるので、そちらをご参照いただきたい。『罪人たち』だけでなく、現代における映画の上映方式を網羅的にわかりやすく解説してくれているので、本作に興味がない方でもためになること間違いなしだ。

 

「『罪人たち』のライアン・クーグラー監督によるフィルムと上映フォーマットの解説」
https://youtu.be/saCE8Vnzy4I?si=TBACJLHQwUFgqz_7

 

映像面の気になった点で、この動画でも解説されていないのは、序盤の少女に車の見張りを頼むシーンと、綿花畑でバウンサーを雇うシーンで、数カットのみ褪色か銀残しのような処理が行われていたことだ。異質なカットが混ざることでルックの統一感が失われている気がしたが、色々試したかったのか、年季の入った上映フィルムのように演出したかったのか、意図はよくわからない。単純に見た目にカッコいいカットではあった。

 

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元々上映する気はなかったかのような急ピッチのスケジュールで上映が決まった本作『罪人たち』。先述のIMAXの件もあったので上映されただけマシかもしれないが、日本映画業界の有色人種外画への冷たさはなぜこうも改善されないのか、理解に苦しむ。キャリアのない監督ならまだしも、ライアン・クーグラーだ。いい加減にしてほしい。

予告から吸血鬼映画であることはわかっていた本作だが、それ以上に音楽の持つ魔力とこれが紡いでいった(いく)歴史についての作品だった。中盤、65mmフィルム撮影によるアスペクト比1.43:1の長回しシークエンスは圧巻の一言である。優れた音楽は時をも超越し、1932年の酒場に歪んだ音のフライングVギターやターンテーブルが現れ、古今東西のジャンルがミックスされた劇伴が場面を彩る。そしてストリートダンス、アフリカの伝統的な舞踊、トゥワーキング、バレエ、京劇など、様々なダンスも繰り広げられ、混沌とした場の熱が酒場を燃え上がらせる。最も印象的なシーンだった。音楽はクーグラーの親友ルドウィグ・ゴランソンが今回も担当しており、このシーン同様、時代やジャンルに捉われないトラックが面白い。終盤の吸血鬼と対決する場面では、メタル調の若干チープなトラックもあり、シリアスなルックとのギャップで少し笑ってしまった。そのほか、ドブロギターが思いがけない活躍を見せたり(あのような使い方は映画史上初ではないだろうか)、ギター少年サミー(マイルズ・ケイトン)の60年後の姿をある超有名ブルーズギタリスト*1が演じていて、そのバックにはこれまた有名なギタリストのクリストーン・“キングフィッシュ”・イングラムがいるなど、音楽好きに、特にブラック・ミュージックやブルーズ、ギター好きには見どころの多い映画だった。マイルズ・ケイトンによるギタープレイと歌唱も素晴らしく、嘘がないので作品に集中できる点もありがたい。

また、吸血鬼側のアイリッシュミュージックに関しては、さえぼう先生こと北村紗衣の感想が非常に勉強になったので、ぜひこちらを読んでみていただきたい。

 

「吸血鬼のためのブルースとミンストレルショー~『罪人たち』(ネタバレあり)」https://saebou.hatenablog.com/entry/2025/06/23/231344

 

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音楽映画としては楽しめた本作だが、物語に関しては看過できない点もあった。ジャンル映画らしい展開のゆるさはいいとしても、女性の描写は本当に古臭い。ライアン・クーグラーは前作の『ブラック・パンサー/ワカンダ・フォーエバー』でも母性の強調が悪目立ちしていた記憶があるが、今回も同じように母性を強調しつつ、男性が奮起するために女性が死んでいくような脚本になっている。そのうえ、女性をめぐるホモソーシャルな会話も随所にあり、性的なシーンの露骨さも相まって、ブラックスプロイテーション映画の引き継がなくていいところまで引き継いでしまっていると思ってしまった(アフリカンがKKKを撃ちまくるという描写がシオニストタランティーノからアフリカンのクーグラーの手に戻ってきた気がして、その点では清々しかった)。ジャンル映画で人種レプリゼンテーションをしつつ、ステレオタイプに陥らない多様な性のあり方を示すことはそんなに難しいだろうか。なんとなくアジア系に冷たい感じがするジョーダン・ピールとは異なり、クーグラーはアフリカンのみならず当時の中国系移民にもフォーカスしている(燃えながら絶叫しつつ生き絶えていく様は惨過ぎるが)し、非常にクールなチョクトー族のヴァンパイアハンターたち(もっと活躍させて欲しかった)も登場させていて、人種に関しては多面的なアプローチをできているので他の部分で引っかかってしまうのが惜しい。

また、編集がいささか鈍重に感じられた。前半のカットを後半で説明的に入れたり、ジューク・ジョイントの設営風景をクライマックス付近に持ってきたり、歌唱が盛り上がってきたなと思ったらブツ切りしたりと、リズムが心地悪かった。終盤もクレジットを出したり引っ込めたりした挙句、エンドクレジット後に「もったいないから入れときました」的な映像を持ってきていて非常に歯切れが悪い。中盤の「本物のドルがない」の流れも、当時の奴隷搾取構造を示すうえで無意味だとは言えないが、メアリー(ヘイリー・スタインフェルド)が吸血鬼に接近するための口実を無理やり作っているような脚本的不器用さも感じてしまった。上映時間は137分になっているが、本来はもっと長尺にして、ひとつひとつのシーンを時系列順でじっくり描く予定だったのではないだろうか。特に設営風景に関しては、しっかり1.43:1のシークエンスになっていたので、ダイジェスト的ではないかたちで見てみたかった。

 

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余談

下品な話で申し訳ないが(断りは入れましたよ)、バウンサーのコーンブレッド(オマー・ミラー)が怯えるたびに立ちションを中断するシーンで爆笑してしまった。キャラクターの性格を端的に表現しつつ、緊張と緩和が的確であり、映像では見せずに音響で笑わせているという高度なギャグである。

 

 

*1:言わずと知れたバディ・ガイである。本人役ではないからか、トレードマークの水玉柄は身につけていなかった気がする